釈尊の生涯2
釈尊の生涯1で触れたように、カーストはカルマによって決まるとされていますから、より良く生まれるには、より良い行いをしなければなりません。
しかし、輪廻の輪から完全に抜け出す(解脱)するには、カルマを清算しなければならないと考えられました。
カルマを清算するというのは、自ら苦行をするということです。
場合によっては、自傷行為、自殺行為を奨励するケースもあったようです。
そして、このカルマによる輪廻という思想は、当時常識のように信じられていた事が予想できます。
それでは、釈尊の生涯2をお楽しみ下さい。
釈尊の出家と修行
釈尊の出家もまた苦行からスタートしました。
カースト制度に反対の釈尊はバラモン僧ではなく沙門(シュラマナ)として
先人の仙人に師事したりもしましたが、最終的にネーランジャラー河のほとり、ウルヴィーラの林に入り、苦行を行いました。
この時、父である王が5人の沙門(五比丘)を釈尊の元へ送っています。
6年に渡る苦行を行った釈尊ですが、この修行法では目指す境地に辿りつけないと見切りをつけ立ち上がった釈尊は、生きているのが不思議なほどに痩せ衰え、弱り疲れきっていました。ネーランジャラー河で身を清めた後、流されそうになりながら岸に戻り樹の下に坐っていますと、村娘がやってきました。
この村娘、名前はスジャータと言います。
褐色の恋人でお馴染みの某ミルク等のメーカー名はここから来ています。
それを見ていた五比丘は、王子は修行から脱落したと考え、去ってしまいました。
その後、釈尊は河を渡り、菩提樹の下に結跏趺坐(あぐら状態の両足を太ももに乗せたバージョンの座禅でお馴染みの坐り方)を組み、目的を達するまで決して立ち上がらない決意をしました。
これを知った魔王が邪魔をしにやってきます。
まずは3人の美女による色仕掛けを行いますが、釈尊には通じません。
そして魔王が様々な術で釈尊に挑みますが、釈尊は魔王の術には実態がない事を見抜いており、これを打ち破り、ついに覚りの境地に達します。
このことを「降魔成道」と言います。
この時、目覚めた者(覚者)という意味の「仏陀」が誕生したのです。
釈尊はその後暫くの間坐り続け「十二因縁」をまとめました。
釈尊が成道したことは天もすみやかに察知しました。
梵天が釈尊のところへやってきて、その真理を広めて欲しいと願いました。
しかし、釈尊はこれを断ってしまいます。
というのも、その真理は難解でとても教えられるものではないからという理由です。
それでもと説得する梵天を二度断りますが、三度目に承知しました。
そこでは、以前に釈尊が脱落したと見切りを付けた五比丘たちが修行をしていました。
何しにきたのかと見ていますが、なにやら釈尊の様子にただならぬものを感じました。
そして、五比丘たちに最初の説法「処女説法」を行います。
最初の説法は「四諦八正道」でした。
これによって、仏の教え、法(真理)の輪が車輪の如くまわり始めたという事で
『初転法輪』の説法と呼ばれています。
釈尊の生涯2はいかがでしたか?
逸話や説などを全て盛り込むと膨大な量になってしまうので
ポイントだけをまとめたつもりですが、ここまでで、いよいよ
仏教がスタートしました。