はいっ坊主

坊主が気まぐれに日々のご縁をしるします

釈尊の生涯3

釈尊の布教

 釈尊の布教とはどういうものだったのでしょうか。

仏陀となった釈尊の元へ、様々な人達が集まってきます。

また釈尊自身も、生涯一箇所で布教をしていたわけではなく、各地を巡っています。

こうして、釈尊の弟子たちは増え、仏教の教団が形作られました。

 

 釈尊の布教は、学校の先生のように、皆を前にした説法も行っていますが、個別への説法も行っています。

個別への説法が必要な理由は、想像にたやすいと思いますが、当時のインド辺りでは、階級による地位差別がありました。

また、職業、性別、境遇、能力など、人それぞれなのは今も同じです。

そこで釈尊は、個々に合わせた説法を行いました。

これを「対機説法」と言います。

 釈尊仏陀となってから入滅まで、こうした説法が行われたということを、頭の隅において置いてください。

この対機説法が長年かけて行われたという事が、また後日焦点になることが予想されますので・・・。

 

 対機説法について有名な話を挙げてみたいと思います。

釈尊の弟子の中に周利槃特という人がおりました。

経典によっては、周利槃陀迦、周利槃陀伽といった名前で描かれている人です。

この周利槃特は、残念ながら頭の良い方ではなく、自分の名前を呼ばれた事も教えられるまで分からないという方でした。

難しい仏の教えを、説明して分かるような方ではなかったわけです。

そこで釈尊は、箒を渡し、毎日掃除をするように教えました。

毎日ひたすらに掃除を続けても、塵や埃、垢等は絶える事がありません。

綺麗にしたところを汚されると腹もたちます。

「塵を払え、垢を除け」と口にしながらの掃除は幾月も幾年にも及びました。

そして、彼は「本当に汚れているもの」に気付きました。

その本当に汚れているものの事を仏教では「三毒 (貪・瞋・癡)」と言います。

三毒についても、またの機会にお話をしたいと思います。

そして、最後には、周利槃特は阿羅漢となります。

 ちょっとこぼれ話ですが、ミョウガ(茗荷)という薬味等に使われる植物があります。

香りが私も大好きで、味噌汁の具にしたり、焼いて味噌を付けたりと季節には楽しませて頂いております。

このミョウガには、迷信が一つありますがご存知でしょうか?

ミョウガを食べると、物忘れが酷くなる」

これは、茗荷という釈尊の弟子の墓の周りに生えていたから、というのが由来なのですが、この茗荷というのは、周利槃特の事と考えられています。

 

 話を戻しましょう。

釈尊の対機説法が、いかに相手に合わせたものであったのかが伺えるお話です。

他にも、女性による出家の話、王舎城の悲劇と呼ばれる話など、対機説法とも関連深いお話がいくつもあります。

ご存知のお盆の由来になった話の中に登場する場面も、対機説法の一つと考えて良いかも知れませんね。

これはお盆が近づいた頃にお話させて頂こうと考えています。

 

 

釈尊の入滅

釈尊も人間ですから、四苦(生老病死)からは逃れられません。

稀に勘違いをされている方がおられますが、釈尊は苦しみの原因を知り、全てを受け入れ、涅槃寂静の境地に達しているのであって、不老不死になったわけではありません。

釈尊は大勢の弟子たちに後を任せ、阿難という弟子を一人だけ連れて、故郷をめざします。

道中、チェンダと言う人が施したキノコ料理を食べて、病気になったと言われています。

尚、釈尊が人生において最上の食事だったとするのは、前回登場したスジャータの乳粥と、このチェンダの食事だという釈尊の言葉が残されています。

故郷を目前にしたクシーナガルに着いた釈尊は、自分の死が近い事を阿難に告げます。

阿難は泣いてしまいますが、それに対して釈尊は、泣いてはいけない。以前にも教えたことだ。と諸行無常のお説教をしたとされています。

怠ることなく努めなさいと最後の言葉を残し、頭を北に、右脇を下に、西を向いて横になります。

北枕の言われはここにありますが、インドでは最上の寝方とされているようです。

沙羅双樹が満開になり、比丘、動物が集まる中で横になっている絵を見た事があるかもしれませんが、それが涅槃図です。

こうして釈尊は寂静の涅槃に入りました。

遺体は河辺で火葬され、登る煙は太陽の光を受けて瑠璃色に輝いていたということです。

 

 

釈尊の生涯に関しては今回で完結します。

その後の仏教については、またお話したいと思います。

 

 

 

算数の順序問題

さて、この記事をお読みいただくと、それぞれに考える所が出てくると思います。

皆様はどのように考えますか?

意見を押し付けたり、批判したりという目線ではなく、素直に考えを巡らして、素直に問題に向かい合ってみる中で、皆さんの中の一つのご縁に触れられればと思います。

 

 近年、頻繁に話題にあがる小学校の算数の議論をご存知でしょうか?

例えばこういうものです。

「リンゴが3個乗った皿が5枚あります。リンゴは全部でいくつありますか?」

 

 この問題に対して「15個」と答えがあっていても

3×5 という式を立てれば正解

5×3 という式を立てれば不正解

になるというものです。

求めたい解は「リンゴの数」であって、「リンゴ」が「何個分」としなければならないというわけですね。

 

算数というのは、数学の一部、基礎にあたるものですから、当然、前置きなどなくても四則演算の性質、交換法則、分配法則、結合法則も成立しているものです。

ですから、交換法則 ab=ba は一見問題ないはずなのですが、国語的な意味を加味しないと、式が意味を持たないと。

 当然これは議論になります。どちらの意見もごもっともなんです。

そこで、こういう文章題があったらどうでしょう?

「縦3センチ、横5センチの長方形があります。この長方形の面積を求めてください」

 

 この問題に対しては

3×5 という式で正解になります。

しかし、面積とは何であるのか?ということを考えると、ここに矛盾が生じます。

面積というのは 1×1 の広さを1平方と定義し、それが何個分あるのかということですから、先ほどの国語的な意味を持たすのであれば

1×(3×5) と書かなければならないはずなんですね。

リンゴの数を求めるならば、リンゴが何個分という計算をしなければいけないのですから

面積を求めるなら、1の面積が何個分としなければならないでしょう?

このような、○はこうしないといけないと言いながら、△では言及しない。

と言った、悪い言い方をしてしまうとご都合主義ともいえる中途半端な内容にしているのもまた、議論が過熱する原因の一つになっているのだと思います。

 

 さて、これは足し算や掛け算という、数学的にはシンプルな性質を持ったものでは良いですが、割り算となったらどうでしょうか?

「15個のリンゴを5枚の皿に同じ数ずつ乗せる事にします。一皿あたり何個のリンゴが乗りますか?」

 

当然 15÷5 という式になりますが

これをわざわざ 1/5÷1/15

みたいな逆数を用いたのでは、「はい????」ですよね。

 

 このように考えると、割られる数と割る数、掛けられる数と掛ける数といった、国語的な意味合いを持った式にするということは、意味のある事であると思います。

それだけに、「なぜ問題文に書いておかないのか?」が、この議論を見かけるたびに、私の個人的な疑問点となっています。

数学である算数には四則に伴う性質があるわけですから、そこに問題文で触れないままに問答無用で

「不正解」や「減点」

としてしまうから問題があると思います。

人によっては、数学の基礎をやっていながら、数学の法則を否定するの?と思われても仕方ないでしょう。

式に国語的な意味を加味しなさいと問題文に書かれているならば、誰もが納得の不正解で当然ですが、そうでないのであれば、それを不正解とされる数学的な理由はどこにもありません。国語の問題は国語でどうぞとも言いたくなるでしょう。

むしろ、数式に国語的な意味で順番が・・・なんて言うのは屁理屈というものです。

3個乗った皿が5枚も、5枚の皿に3個ずつも、数学的には正しいのですから。

それでも不正解にするというのであれば、答案の隅にでも、「四則演算に基づくと書いておけば、正解にして下さるんでしょうな?」という私のような理屈屋が登場した際に先生はさぞかし困りますね(笑)

分かっていて、理由のもと、あえてやっている人は正解にして下さるとは思いますが(笑)

・・・ですよね?

中学時代だったか、模範解答とは違う解法だったけれど、何度見直しても、後に誰に見せても証明成立しているにも関わらず、抗議しても覆らなかった残念な記憶が・・・(汗)

 

 おもしろい算数と数学の例を出してみます。

1リットルの水を3つに均等に分け、それぞれABCの3つのバケツに入れます。それを3回行うと、バケツ1つあたり何リットル入っていますか?

小学生の算数の順序問題も踏まえて式をたててみます。

(1÷3)×3=0.99999・・・

 

同じ問題を数学として解いてみます。

数学では÷3を逆数として表せますから1/3とします。

1/3*3=1 となります。

 

算数の0.0000・・・001はどこへ行っちゃうのでしょうね?

これは十進数ゆえの矛盾なのですが、算数のやり方と数学のやり方で

解答が異なってしまう有名な例です。

他にも1:1:√2の二等辺三角形を用いた同じような問題もありますね。

10cm四方の正方形の紙(紙の厚さはないものとする)を対角線に一回半分におったものを4つ組み合わせて作った正方形の面積・・・みたいな感じですね。

算数的なやり方をするなら19.999・・、数学的に解けば20ですね。

 私個人の考え方では、数学(算数を含む)というのは、あくまで「数」の「学問」なんですね。数というものは、十進数に限る話ではありませんし、仮定したり代数を用いる事も当たり前に行われます。問題に存在しない補助線などを想定して、解を導くような事もあります。

いわば、数とはなんぞや?というものを研究し、証明されたものの一部が学校で習う数学であって、冒頭の文章題なんかは、「たまたま、更にその極一部が日常のものを数えたりする場合に便利に使えただけ」にすぎないと思っています。

 一方で試験などの「問題」というのは「出題者の意図との一致を以って正解とする」という概念があります。

聞いた事のある笑い話で、とある国語の問題で「このときの作者の気持ちを答えなさい」という問題を目の前にした子が、偶然にも作者の娘で、作者である父親に聞いたら「締め切りが・・・」という気持ちだったと答えられたなんてものがあります。

出題者の意図と作者本人の意図が異なっていたという笑い話ですね。

それだけに、十進数で出題されている以上十進数で答えますよといった、あまりに当然でしょうというものに関しては暗黙の了解でよいと思いますが、演算の性質のようなどちら側の考え方も存在しうるものにかんしては、問題文に書かなければ、式の立て方に関しての出題者の意図はないものとみなされても仕方ないですね。

 

 但し、だからと言って順序を無視しても良いと言っているわけではありませんよ、小学生諸君!。

四則演算の性質が分かっている上で、意図的に順序を変えるのと

分からないまま、順序が逆だったのとは大きく違います。

私が先生なら、前者は正解にしますが、後者は問題文に但し書きがあろうがなかろうが不正解にします。

 

 私がこの算数の議論について考える事ができるのも、それを考える事ができるだけの材料に支えられているからに他なりません。

順序は大切と考えられている方も、あくまで数学だと考えられている方も、また、別の考えをめぐらせた方も、それぞれにその考えを巡らせて論争できるだけの材料があり、ご縁があるからです。

この記事を読んだ人が「自分はこう考えるなぁ」と思えるのも全て同じです。

考える事ができる自分ではなく、先日の折り紙の話と同じ

おかげさまで考えるという仕上げ作業をさせてもらっているわけです。

なぜ「させてもらっている」という受身の書き方なのか。

これを機会に、どうか直接的にご縁があった先生や友達、ご両親といった方々にだけでも結構ですから、感謝してみませんか?

今の私というものを見詰め直すひとつのきっかけになっていただければ幸いに思います。

 

釈尊の生涯2

 釈尊が出家した当時には既にカーストが存在していました。

釈尊の生涯1で触れたように、カーストはカルマによって決まるとされていますから、より良く生まれるには、より良い行いをしなければなりません。

しかし、輪廻の輪から完全に抜け出す(解脱)するには、カルマを清算しなければならないと考えられました。

カルマを清算するというのは、自ら苦行をするということです。

場合によっては、自傷行為、自殺行為を奨励するケースもあったようです。

そして、このカルマによる輪廻という思想は、当時常識のように信じられていた事が予想できます。

それでは、釈尊の生涯2をお楽しみ下さい。

 

釈尊の出家と修行

 

 釈尊の出家もまた苦行からスタートしました。

カースト制度に反対の釈尊バラモン僧ではなく沙門(シュラマナ)として

先人の仙人に師事したりもしましたが、最終的にネーランジャラー河のほとり、ウルヴィーラの林に入り、苦行を行いました。

この時、父である王が5人の沙門(五比丘)を釈尊の元へ送っています。

6年に渡る苦行を行った釈尊ですが、この修行法では目指す境地に辿りつけないと見切りをつけ立ち上がった釈尊は、生きているのが不思議なほどに痩せ衰え、弱り疲れきっていました。ネーランジャラー河で身を清めた後、流されそうになりながら岸に戻り樹の下に坐っていますと、村娘がやってきました。

 この村娘、名前はスジャータと言います。

褐色の恋人でお馴染みの某ミルク等のメーカー名はここから来ています。

スジャータは乳粥を釈尊に捧げ、釈尊はそれを口にしました。

それを見ていた五比丘は、王子は修行から脱落したと考え、去ってしまいました。

 その後、釈尊は河を渡り、菩提樹の下に結跏趺坐(あぐら状態の両足を太ももに乗せたバージョンの座禅でお馴染みの坐り方)を組み、目的を達するまで決して立ち上がらない決意をしました。

これを知った魔王が邪魔をしにやってきます。

まずは3人の美女による色仕掛けを行いますが、釈尊には通じません。

そして魔王が様々な術で釈尊に挑みますが、釈尊は魔王の術には実態がない事を見抜いており、これを打ち破り、ついに覚りの境地に達します。

このことを「降魔成道」と言います。

この時、目覚めた者(覚者)という意味の仏陀が誕生したのです。

 

 釈尊はその後暫くの間坐り続け「十二因縁」をまとめました。

釈尊が成道したことは天もすみやかに察知しました。

梵天釈尊のところへやってきて、その真理を広めて欲しいと願いました。

しかし、釈尊はこれを断ってしまいます。

というのも、その真理は難解でとても教えられるものではないからという理由です。

それでもと説得する梵天を二度断りますが、三度目に承知しました。

 

 そして釈尊サールナート鹿野苑へ赴きました。

そこでは、以前に釈尊が脱落したと見切りを付けた五比丘たちが修行をしていました。

何しにきたのかと見ていますが、なにやら釈尊の様子にただならぬものを感じました。

そして、五比丘たちに最初の説法「処女説法」を行います。

最初の説法は四諦八正道」でした。

これによって、仏の教え、法(真理)の輪が車輪の如くまわり始めたという事で

初転法輪の説法と呼ばれています。

 

釈尊の生涯2はいかがでしたか?

逸話や説などを全て盛り込むと膨大な量になってしまうので

ポイントだけをまとめたつもりですが、ここまでで、いよいよ

仏教がスタートしました。

釈尊の生涯3では、釈尊の布教やそれにまつわる話をお届けしたいと考えています。

釈尊の生涯1

 仏教という言葉は知っていても、仏教ってどういうものなの?

と聞かれたときに、なんとなくのイメージしか持っていないという方も多いのではないでしょうか?

折角ブログをはじめたわけですし、仏教について

宗派の枠にとらわれずに記載していこうと思います。

仏教を知るきっかけになっていただければ幸いです。

 

 まずは、仏教の開祖である釈尊仏教のはじまりについて、時代背景なども含めて記していこうと思います。

文章がだいぶ長くなる事が予想されますので、適当な所で切りながら

何度かに分けて進めたいと思いますので、お時間のある方は

暇つぶしでも結構ですので、しばし仏教に触れてみて下さいませ。

 

釈尊の誕生』

 釈尊は、今から2500年以上前、紀元前560~460年頃にヒマラヤの南の麓

現在のネパール南部タライ平原にある小さな村で釈迦族の王子として誕生しました。

釈尊誕生の地ルンビニー園は、仏教の聖地のひとつとなっていて、現在も遺跡として残っています。)

名前をゴータマ・シッダッタ(これはパーリ語での読み/サンスクリット語ではガウタマ・シッダールタ)と言いました。

 

 さて、本格的に釈尊の生涯に入る前に時代背景をおさえておく事にします。

なにせ大昔の話ですから、曖昧にしか分からない事も多いのですが

釈尊誕生よりさらに昔の紀元前13世紀ごろに、アーリア人がインドに入ってきました。

そして数百年かけて、宗教が融合し、ヴェーダ聖典として自然神を崇拝する宗教、バラモン教が生まれます。

バラモン教というのは、大昔のヒンズー教と考えて下さい。

現在のヒンズー教とは色々と異なるので、後にバラモン教と区別して名づけられました。

当時はバラモン教に属さない宗教もありましたが、バラモン教が勢力を持っていたと考えて良いでしょう。

 未だに根強く残る差別の問題「カースト制度」はここにルーツを持ちます。

カースト制度というのは、司祭階級のバラモンを最上位にクシャトリヤという王族階級が続き、ヴァイシャという庶民階級、シュードラという奴隷階級と続きます。

さらにその下の階級に不可触賤民がありました。

この階級に生まれた以上、生涯階級が変わることはなく、違う階級のものと結婚する事もできません。

つまり、奴隷として生まれた以上、奴隷としての人生が決まっており、死ぬまで奴隷です。

不可触賤民として生まれてしまえば生涯奴隷以下の扱いです。

カーストがなぜ作られたのかという研究もありますが、教義としてバラモン教ではこの階級は業(カルマ)によって決まるとされました。

分かり易く噛み砕いていえば、前世で良い行いをしていれば、良い階級に生まれるという感じのものです。

今でいう「輪廻転生」のルーツですね。

奴隷や賤民として生まれたのは、前世の行いが悪かったから

低い身分は自らが招いた事というわけですね。

 

 では、再び釈尊の話に戻します。

 釈尊が生まれたときの逸話がいくつかありますが、有名な所を2つばかりかいつまんでみますと、「釈尊は右の脇から生まれた」「生まれてすぐ歩いて喋った」が有名です。

しかし、実際に脇から生まれるわけはなく、これは象徴的な表現といわれています。

カースト階級のバラモンは頭から、クシャトリヤは脇から、ヴァイシャはお腹から、シュードラは足の下から生まれるとされており、王族である釈尊は脇からといわれたわけです。

生まれてすぐに7歩歩いて、右手で天を、左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と喋ったとされています。

これも、釈尊本人が言ったのではないものが釈尊自身が言ったと信じられるようになった説や、本当に本人が言った説などあるようです。

釈尊を生んだ母マーヤーは、それから7日後に亡くなりました。

釈尊はその後、王族らしく何不自由ない成長をしますが、沈みがちなもの静かな性格だったと言われています。

あるとき、農耕祭に出かけたときのこと、土を見ていたら小さな虫が出てきました。

しかしその虫が小鳥に食べられてしまいました。さらにその小鳥は大きな鳥に食べられてしまいました。

あっという間に奪われた命を目の当たりにした釈尊は、生きる意味、何故生きて、何故死ぬのかを考え、瞑想をするようになりました。

そんな釈尊も16歳になり、ヤショーダラというお嫁さんを貰います。

そして、ラーフラという子供が生まれます。

 絢爛豪華で贅沢な月日が流れたある日、釈尊が有名な「四門出遊」とあいなります。

東門から出た釈尊は杖を頼りにやっと立つ醜い老人に出会いました。

次いで南門から出た釈尊は苦しみもがく病人に出会いました。

次いで西門から出た釈尊は葬列に出会い死人を見ました。

最後に北門から出た釈尊は一人の修行者に出会いました。

その修行者は「生死の問題を解決する為に解脱を求めて出家し、揺るがない不滅の境地をつきとめるために修行している」と言います。

 城に帰った釈尊は、父である王シュッドーダナに4つの願いを申し出ます。

 

1.私が決して老いない事

2.私が決して病にならない事

3.私が決して死なない事

4.私がそれら全ての災いによって不幸にならない事。

それらが全て叶うなら、王のあとを継ぐが、叶わないなら出家させてほしい

 

そう願い出たものの、王が許すわけがありません。

その夜、釈尊は密かに城を抜け出しました。

そして明け方まで東に進み、従者に身につけていた宝石などを渡して

そのまま出家しました。

 

 釈尊29歳の時の話です。

 

釈尊の生涯1、いかがでしたか?

釈尊の生涯2では、釈尊の修行と時代背景について記そうと考えております。

 

見えないものを見る力

「学問」と「勉強」の違いを考えたことがありますか?

 

単純に字を見てもらうだけでも、「問うて学ぶ」のが学問で

「強いられて勉める」のが勉強と解釈できます。

「勉強しなさい」という親の言葉だけに限らず

より良い学校に入って、より良い就職をと考えることからくる

プレッシャーもまた「強いる」でしょうし

周囲に対するあせりや競争心もまた「強いる」に該当するでしょう。

 

 一方の学問は「強いられない」ものです。

強いられないのに学ぼうということには、そこには「探究心」であったり、軽いところでは「興味」があるからということになります。

入り口はそれで充分すぎるものだと思います。

勉強には、「目的を達するというゴール」があります。

例えば、試験に向けて漢字を覚えるとしましょう。

その時に、試験範囲外の漢字まで勉強しますか?

もし、勉強中に「この漢字はどうしてこういう部首を用いているのだろう?」

なんて考えから、それを調べることで試験範囲外の勉強をしたなら、それは

勉強ではなく「学問」です。

そこには「興味」が湧いているわけです。

学問にはゴールなんてありません。

「学ぶ」という表現が敷居の高さを感じるならば

「知りたがる」「知ろうとする」

と置き換えて読んでもらってもかまいません。

「ご近所の○○さん▲▲なんだって~」

「え???どういうこと?」

一緒です(笑)

勉強大嫌いな子供が「恐竜大好き」「宇宙大好き」「古代遺跡大好き」

買ってあげた図鑑や絵本、例えば漫画であっても解説された本。

楽しそうに読んでは「こうなんだよ!」と得意げな顔。

普段、真面目なドキュメンタリー番組なんかは見向きもしないのに

恐竜やら遺跡となれば、夢中になって見ている。

私に言わせれば、それは立派な学問です。

 

「好きこそものの上手なれ」

は、ただ何もないところに諺としてあるわけではないですし

「下手の横好き」

に関しては、当の本人がとても楽しんでいるのが予想にたやすいでしょう?

 

 そんな学問には、進めていくほどに時系列的な傾向が出てきます。

入り口は興味でも何でも良いのですが

それについて学んでいくと、そこから次々に脱線を求められることになります。

私が仏教を学ぶ際も同じで

宗派の教義を学ぶと、その教義の根拠を求めるようになります。

その根拠は複数の経典であったり論述であったりするわけですが

それを学ぶと、さらにその根拠や出所を学ぶ必要がでたり・・・

とキリがありません。

時には、大きな声では言えませんが教義に関して疑う

ところにまでいくことも珍しくありません。

結果、では「どうして?」という疑問がしきりなしに手を変え品を変え襲ってきます。

一つ疑問を潰そうとすると、さらにねずみ算式に増えた疑問が帰ってくるのですから

ゴールなんて見えるどころか、設定のしようもありません。

また、坊主なんてやっていますと、お話をする機会も珍しくありません。

人に教えていると、自分の中で理解している”つもり”だったものが露呈してきます。

わかりやすく例えてあげたくても、例えてあげられないと

充分な理解に到達していない事を思い知らされます。

 

『学びて然る後に足らざるを知る
    教えて然る後に困しむを知る』

 

実にうまいことを言ったものだと感心するばかりです。

しかし、まだまだ未熟ながらも、日々少しずつながら

問いを潰していけているのは分かります。

もっとも、それ以上の問いが戻ってきますけどね(苦笑)

同時に人間の「想像力」もどんどん酷使されているのが分かります。

あたかも現場を検証して思考を重ね、少しずつ事件の全貌が見えてくる

推理小説のように、全く異なる疑問からつぶした「問い」の答えが

いくつか出揃ってきたところで、「あれ?もしかしてこういうこと?」

といった事が多々あるのです。

これがまさに、タイトルにもした「見えないものを見る力」です。

 

 パソコンを触った事がない人に、パソコンを操作しなさいと言っても

何をどうして良いのか分かりません。

パソコンを立ち上げなさいといったら、キーボードを懸命に立てようとしていたなんて笑い話を聞いた事がありますが、まさにそんな状態です。

ある程度パソコンに慣れた人だと、初めて使うソフトでも何となく基本の使い方の予想ができたり、最低限の事はできたりしますが、パソコンに触った事がない人には

そんな事はできるはずもなく、挙動不審にキョロキョロするしかないでしょう。

パソコンの事を全く知らない人、少し知っている人、慣れている人では

先述した「使い方の予想」の出来方が雲泥の差として現れます。

 「あれ?もしかしてこういうこと?」

が出来るのは、「それができるだけの材料を持っているから」です。

人はそれを「経験(実践)」だったり「知識」だったり「知恵」だったりと呼びますが

理解の深さは、見えないものを見る力に比例しています。

もう少し違った目線でみてみましょうか。

そのパソコンに触った事がない人が、触る機会を経た後に街にでますと

「パソコン教室」「パソコン関連の本」など

今まで気付かなかった看板や本のタイトルに目が行くようになります。

 今までもそこにあったもの、にもかかわらず、今までは見えていなかったもの

が見えてくるようになったわけですね。

これも一つの「見えないものを見る力」だと思います。

自らに関連したことにより、意識が行くようになった。

その結果、そのままでは見えないままのはずだったものが

見えるようになったのですから。

 

 知識や経験というものが、多ければ多いほど

「見えないものを見せてくれる」

ことに繋がるのがお分かりいただけましたか?

その知識や経験というのは、

『学問』

と共にあるのもお分かりいただけたでしょうか?

学ぶ事は困しい事ではあっても苦しい事ではないんです。

勉強は苦しい事である場合が多いかもしれません。

「困しい」は困るという字の通り、次から次へと疑問が湧いたり

足りなさを思い知らされたりしますが

でも、同時に結構楽しいことも多いんです。

可愛がっているペットが、やんちゃをして

「困っちゃうわー」

と言いながらも、笑顔でまんざらでもないような

そんな心境に近いかもしれません。

 

 人間の生涯に嫌でもつきまとう様々な苦しみ。

その苦しみを解決するには、苦しみについての理解が必要です。

何を学問しましょう?

ヒントは仏教にありますよ。

身の丈にあわせた解決方法が用意されています。

法要の席等で行われる「法話」を聴聞されたことがありますか?

私の周囲でも、若い世代の人で「最近は法話を聞くのが結構趣味なんです」

なんてお話されている方がいます。

当事者の一人という贔屓目を抜きにしても、

実際に、結構面白いものなんですよ。

 

 このブログでも少しずつ紹介できればと考えていますので

興味を持たれた方は、共に学問しませんか?

紅葉

 昭和の時代、人々は木を求めました。

戦火、災害などの復興から「木材」の需要がとても高かったのです。

 

 先日、法要の席でそんな話を聞きました。

日本各地で「植樹」が行われたのはそのためだと教わりました。

 

 何年か前の春に、自坊の近くの山へ、山菜を採りに行きました。

子供の頃は、時々走り回って、時には迷子にもなったことがある山です。

そんな山ですから、もはや庭の如く、どこを上がればどこに着く。

どこに山菜がたくさんあって・・・なんて事は熟知していました。

ところが一歩山へ足を踏み入れると、山の中の様相は、私の知っているそれとは

大きく違いました。

登るのに使っていた獣道は倒木に塞がれ、落とされていない枯れ枝が

木々からぶらさがり、踏み均されていない獣道はところどころ崩れていました。

 

 その山の木々は元々植林されていたものです。

山を管理する人、木を管理する人がいなくなり

本来ならば、広葉樹も針葉樹も入り乱れているはずの山が

植えておきながら放置した結果、もはや材木にもならない

したところで、赤字になるだけの杉だらけの

寂しい山のまま放置されているのです。

 

 実を付ける木の少なさからの熊や猪、ハクビシン等による被害

幼少期を針葉樹で過ごすカメムシの大量発生。

そんな事を考えながら話を聞いておりますと、残念な気持ちが湧いてきます。

 

 近くの山が放置されて、既に何年もの月日が流れておりますが

最近は、この紅葉シーズンの山を愛でるのがささやかな楽しみになっています。

まだまだ針葉樹だらけで賑やかとはいえませんが、それでも年々

紅葉している木々の面積が広がっていくのを感じます。

 

 その紅葉した木々の広がり方もまたおもしろいもので

山に縞模様を描くかのように広がってきています。

僅かな広葉樹からの命のリレーが、山の斜面を利用して行われているのでしょう。

その結果、縦方向に広葉樹が広がっていき、縞模様のような山になるわけですね。

あと10年20年後、このまま順調に広がっていけば

錦絵のような目を楽しませてくれる山になってくれるのではないでしょうか。

善人と悪人

「あなたは善人ですか?悪人ですか?」

 

 まずはどちらなのか考えてみてください。

とりあえず前科はないし・・・人並みに親切もしてるし・・・

どちらかといえば善人かなぁ?

なんて人も多い事でしょう。

 

西遊記」を知っていますか?

多くの方が知っていると答えると思います。

あのお話の最初の部分を覚えているでしょうか?

悟空が、お釈迦様と勝負をします。

金斗雲にのった悟空が、猛スピードで地の果てまで飛びますが

そこにあった柱はお釈迦様の指で、悟空の負けというお話です。

 

 このお話、調子にのった悟空をお釈迦様が懲らしめる話

と考えている人が多いと思います。

でも、私はそれだけではない話なのだと考えています。

悟空は、「自分の力」を信じて疑わず、「自分の力」で何でも出来る

と思っています。

しかし、その「自分の力」を正しい目で見たときに

所詮「勘違いの力、幻の力」だと思うわけです。

お釈迦様は、お釈迦様として描かれてはいますが

「世の真理」の象徴として描かれているのではないかと考えるわけです。

 

 私たちが普段「自分の力」で行っていると考えている様々な事

それらは所詮は砂の楼閣にすぎません。

どんなに綺麗に掃除しても、すぐに汚れます。

どんなに雨風を防いでも、雨風を止めることはできません。

どんなに様々な物を作っても、時間、事故、災害はもちろん

些細なきっかけを前にしても破損します。

雨が降ることもあれば、風が吹くこともある。

どんなに頑丈な岩も割れることもあれば、薄い紙が予想以上に長持ちすることもある。

自然、社会、人の心理など様々なものが複雑に絡み合って「今」があります。

ついつい忘れてしまっていますが、それらはいつだって

当たり前につきまとうものです。

 

 気が付かずに蹴飛ばした小石がきっかけで、めぐりめぐって誰かが怪我をするかもしれません。

親切心からやった事で、誰かが不快な思いをすることもあるでしょう。

誠心誠意真面目に生きているつもりでも、誰かに利用されたり、はめられたりすることもあるでしょう。

 

 こうしておけば、”必ず”こういう結果になるという事は

世の中にただのひとつもありえません。

なる事が多い、場合によっては限りなく100%に近いことはあっても

絶対はないでしょう?

どんなに気をつけていても、風邪をひいてしまうことだってあります。

気をつけていないよりは、はるかにマシでしょうが、絶対ではないんです。

目の前で磁石のS極とN極を近づけるような一見確実そうなものであっても

外的要因でその行為が未遂に終わることだってあるでしょう。

勉強をすれば、それは絶対に成果になる?

明日の命がある保証がどこにありましょう?

 

 悟空がいかに力(自称)を持っていても、お釈迦様(真理)の前には無力であるのと同じで

私たち人間が、いかに「自分の力」を信じてみたところで

それは「絶対にあらず」なのです。

だからといって、努力は無駄だとか、何でもかんでも諦めろと申しているわけではありません。

より良いものを求めるのは人間の自然な姿です。

そのために努力して確率を上げるのもとても大切なことです。

ただ、「人間は真理の前には無力である」事を同時に知っておくのもまた

大切な事だと思うのです。

 

 よかれと思った事で、誰かを傷つけることもあれば

気を緩めた時に取り返しのつかないような事をしてしまうことだってある。

きっかけさえあれば、知らない間に罪に加担していることだってある。

時には悪い事をしてしまうことだってある。

そんなありとあらゆるものに翻弄されて定まらない私たちの事を、仏教の世界では

『悪人』

と言います。

 

 普段使っている「悪人」は犯罪者のような意味を持っていますが

仏教の世界では、法律に触れたかどうかという人間の作った枠組みでは考えません。

私も悪人、あなたも悪人、周りの人みんな悪人なんです。

だからこそ、何かしたわけでもない事で苦しい思いをする事もあれば

棚から牡丹餅のような事もあるのです。

悪い事をした人だから悪人ではなく

条件(縁、因果)さえ整ってしまえば、意志があろうとなかろうと悪い事をしてしまうような不安定な存在である人間を悪人としているのです。

 

 これまでの人生、自分の知っている範囲、知らない範囲も含めて

ただの一度も悪縁を作った事がないと断言できる人がいますか?

 

それでは、最後にもう一度問いましょう。

 

「あなたは善人ですか?悪人ですか?」