温かなご縁のおはなし
あれから何年になるでしょうか。
年始に、ご挨拶に回っておりました。
両手には荷物がいっぱいという状況の中、突如みぞれが降り始めました。
みぞれはみるみるうちに本格的な雪となり、両手が塞がっている私は、傘(そもそも持って出ておりませんでしたが)をさすどころか、頭に積もった雪を払うこともままならないまま、時間的な都合もありそのままご挨拶を続けておりました。
そんな中お邪魔した家でのこと、私の状態を見た方が、タオルを用意してくれた上に、両手の塞がっている私の頭から服まで一所懸命に拭いてくれるのです。
荷物を置けば自分で拭ける状況ですし、私自身もういい大人であるにも関わらず、まるでずぶぬれの子供を拭くかのように真剣にです。
親しい方の家やご門徒さんの家でしたら、まだ話もわかりますが、そうではない家での事でした。
身内であっても「お父さんのパンツと一緒に洗わないで」なんて家庭もあるという悲しい話も耳にするご時世に、話もしたことのない、見知らぬ中年おじさん(まだ認めていませんが)を相手に、なかなかできることではないです。
私ならどうしただろう?
例えば、面識のない宅配業者の中年男性がずぶぬれで荷物を持ってきたとしたら。
何もしないか、せいぜいタオルを手渡すぐらいでしょう。
拭いてあげるところまでは絶対にしない自信があります。
お読みになっているみなさんはどうですか?
見知らぬ中年男性がずぶ濡れで訪ねて来たら、タオルを用意しますか?拭いてあげますか?
その時の私は、恥ずかしいやら申し訳ないやら、しかし同時に、本当に温かい気持ちがどんどん満ちていくのを感じました。
その心が本当に嬉しかった!
その時の事を、私は生涯忘れることはないでしょう。
あの時のタオルほど温かいタオルは、これまで経験した事ありませんでした。
親しい間柄で、拭いてもらった事は数知れずあります。
それは、私の中で「してもらえて当たり前」と思っていたのでしょうし、実際に例えば親が濡れた子供を拭くというのは、多くの場合むしろ当たり前の事でもあります。
今現在、当時の私と同じような状況があれば、私は迷わずタオルを用意して拭きます。
「困っている人に親切にしましょう」
なんて小学校で習った記憶がありますが、簡単な親切ならする人も多いものです。
先の例でいえば「これで拭いてください」とタオルを差し出すことなら、する人も少なからずいるでしょう。
しかし、簡単ではない親切はなかなかできるものではありません。
そんな温かな心に触れた私は、その瞬間に大きな変化を経験しました。
もっと分かり易い話をしましょうか。
ご近所さんが旅行に行った際に、「いつもお世話になってるから」とお土産を買ってきてくれたとしましょう。あなたが旅行に行った時、たくさんの貰い物があったとき、ご近所さんがちょっと困っていた時、あなたはお返しをしようと思うようになります。その事がきっかけで別のご近所さんにも、おすそ分けをしよう、お土産を買っていこうなんて思うようになることもあるでしょう。
同じ話なんです。
あなたに何か良い事をしてくれた人がいて、その人はもちろん、その時の嬉しさを他にもしてあげたいと思うようになる。
この事は、別に宗教的な善行でも修行でもなんでもないんです。
人が生きるという事は、常に縁の中にいるという事です。
その縁にも様々な縁がありますが、そんな縁の中でも身近な所に、ほんの少し温もりを添えてみたといったところでしょうか。
その温もりを添えられたご縁は、先の例のように確かに記憶や潜在意識に残り、ほんの少しかもしれませんが、人を優しくします。そうして、温かなリレーが行われます。
諸行無常な世界ですから、即座に必ず温もりがリレーされるとか、即座に必ず温もりが伝わるなんて言うつもりはありません。しかし、放たれた温もりのご縁が、なかった事になることは絶対にありません。
これもまた何年も前の話ですが、とある砂浜でカップルの乗った一台の車が動けなくなっていました。その場にいた地元の人たちが、応援を呼びに走ったことで、たまたま近くの道を走っていた私もその場に駆けつけることになりました。
砂浜にはまってしまった車は、タイヤが空転するばかり。
とはいえ重い車に、足場は不安定な砂ですから、大人の男数人がかりでも持ち上げる事ができません。
そこにいた方が板切れを探し回り見つけてきました。
それを車の下に置き、ジャッキをあて、車を持ち上げ、タイヤのしたに敷いたのは、地元の人が家まで取りに帰って持ってきた新品の毛布でした。
そうして、皆が汗だくになって押し、やっと車は砂浜から脱出できました。
一連の中で、車の助手席には若い女性が、一度も降りることなく、むすっとした顔で乗っており、男性も男性で脱出した後、お礼どころか、会釈一つする事もなく、そのまま走り去って行きました。
簡単に言ってしまえば「若い奴が、考えもなしに車で砂浜に入って周囲に散々迷惑をかけて助けてもらったのに、お礼も言わずに去っていった。礼儀も知らない奴らだ。」となるのでしょうが、それは目先の損得しか見ていない場合の話です。カップルには必ず親切にしてもらった記憶が残ります。年月を経て、その時の事が蘇り再びリレーが再開されることもあるでしょう。その時助けに集まった地元の人達もまた、腹立たしさもあったでしょうが、それでも心のどこかで「よかった」と思っているはずです。私自身もまた、そう思っていますから。
また同じ状況があれば、助けにくると思います。
私もまた、その直後に牽引ロープを購入し常備するようになりました。
地元の方のお子さんだと思いますが、近くで見ていた子供たちにもまた、この件からかけがえのない事を教わったと思います。
放たれた温もりのご縁が、なかった事になることは絶対にありません。
世の中どうにもならない縁ばかりですが、身近な縁の中には、こうしてほんの少しだけ育む事ができるご縁もあるのです。真理から見れば些細すぎるほどの事かもしれませんが、そんなご縁を大切に日暮しをさせて頂ける事ってすばらしいなって思います。
伝える事は難しい
私が得度して、数年が経った頃に先輩のお坊さんに言われた事があります。
「どんなご法話を聞いても、ご講師の言った事が全て理解できるか?」
ご聴聞させて頂いていた折、言っている事は基本的に分かっていて聞いています。しかし全てを完璧に理解できるご法話は、実はさほど多くありません。それを常々感じていました。
内容が難しい、要点が分かりにくい、用語が分からない、自分の理解と食い違いがある、内容の理解や用語の誤り等に「アレ?」と思っている間に進んでしまい戸惑う等々、幼い頃から、仏教に、しいては宗派の教義に触れていてもそのような事はよく有ります。
「だいたいは分かるけれど、分からない事もある」
即答でした。
先輩のお坊さんは
「そうだろう。私らのように接しているものでも、分からない事も多い。ましてや一般の人はもっと分からない。」
「確かに!」
納得せざるを得ない瞬間でした。
そして、そこに私がご法話をする際に最も心がけている要ができました。
『分からなければ、何も聞いていないのも同じである』
心がけてはいても、悔しいかな、満足できる法話ができた事はまだ、ただの一度もありません。
知識のある人に説明するのは、比較的容易なのですが、知識のない方に説明するのは非常に難しいものです。生まれて一度もライオンを見た事がない人に、ライオンの説明をすることを考えてみて下さい。
ネコ科の肉食動物で・・・云々
そんな"授業"を聞いても退屈なだけで、上っ面の知識だけしかありません。
みなさんならどう説明しますか?
今日、仏教とは全く無関係のことではありましたが、教えるべく説明をしていた際に、この先輩お坊さんとのやり取りを思い出しました。
何事においても、難しさを知る事が本格的な歩みの第一歩です。
百里の道は九十九里を以って半ばとす。
別の先輩のお坊さんに言われた言葉が、同時に脳裏に蘇るそんなご縁の日でした。
四苦八苦
四苦八苦という言葉を耳にした事がある方は多いと思います。
有名な話ですから、これが仏教用語であることを知っているという方も多いと思います。では、四苦八苦って何か説明して下さいというと、それ以上は知らないという方が多いようです。
この四苦八苦という言葉は、仏教を知るうえでも、仏教を学ぶ上でも、そしてどの宗派においても、必ず触れずにはおけない重要なキーワードの一つです。そこで、今回の仏教のお話は「四苦八苦」について解説したいと思います。
四苦八苦は、四苦という根本的な4つの苦と、それに付随する4つの苦。
「4」つの「苦」と、付随する4つの苦の合計「8」つの「苦」、で四苦八苦と言うわけです。
まずは、根本となる4つの苦について見ていきたいと思います。
生・・・生まれ生きる苦
老・・・老いる苦
病・・・病気の苦
死・・・死の苦
これをまとめて四苦、生老病死(しょう・ろう・びょう・し)と言います。
人が生まれると、その瞬間から様々な因縁にとらわれます。お家の騒動、意見の対立、騙されたり、裏切られたり、見たくないものを見たり・・・些細なものから、深刻なものまで様々で挙げればキリがありません。思い通りになる人生なら、面白楽しく生きることもできるでしょうが、思い通りにならないのが人生です。また、その後に続く、老病死もまた、生まれなければ起こりえない事です。釈尊は「生」そのものを苦と考えられたのです。
そして、人は歳を重ねることを避けられません。ずっと若いまま居たいと願ってもかなうはずもなく、歳をとるたびに体は衰えていきます。体の衰えは様々な病気や怪我をしやすくなりますし、大変な苦痛を伴うこともあるでしょう。
風邪を引くだけで、人は「しんどいしんどい」といいます。しかし世の中苦しい病気はそれだけではありませんし風邪の比ではないものもたくさんあります。時には生まれながらに病気を背負っている人もいます。いつどんな病気になるのかもわかりませんし、多少の予防ぐらいしか対策もできません。病気になることで周囲にも大変な思いをさせてしまいます。単純に身体機能だけでなく、心の病気もまた深刻です。昨今も鬱病関連の話題、自殺者の数といったニュースが飛び交っています。
人が人生の最後に必ず通る道が死です。どんな名医も避けられません。いつどのような形で死ぬのかは殆どの場合わかりません。もしかしたら、今まさにこの記事を読んでいる間に死ぬことだってありえるのです。歳を召した方が、「私はもういつ死んでもおかしくない」と言いながら、いざちょっと具合が悪くなると「病院に連れていってくれ」と言ったり、人間は生に執着を持っています。死という得体の知れないものが怖いのです。死後が怖いのです。古くインドでは輪廻が怖いのです。
愛別離苦・・・愛するものと離れる苦
怨憎会苦・・・会いたくないものに会う苦
求不得苦・・・求めるものが得られない苦
これが、付随する4つの苦です。
五蘊というのは、色・受・想・行・識の事で、色は肉体や物質、受は感受作用、想は表象作用、行は意志作用、識は認識作用となり人の肉体や精神を5つに分類したものです。つまり、五蘊盛苦は肉体や精神を伴って人間が生きているだけで、5つに執着してしまい苦しみが生じるということです。
人が生きていると、必ず愛するものが出てきます。家族であったり、恋人であったり、友達であったり。また人に限らない場合もあるでしょう。形見の物であったり、愛する人からの贈り物であったり。しかし、それらはいつかは離れることを避けられません。喧嘩などが原因での離別もあるでしょうし、死別もあるでしょう。紛失もあれば、愛が続かないこともあるでしょう。いずれにしても、死ぬときには・・・。
どうしてもうまが合わないという事は誰にでもあるものです。それならまだしも、自分を貶めたものとの再会を避けられない事もあるでしょう。まだ見ぬ人であっても、恨みを持つ事になるような人とは会いたくないものです。しかし、人が社会にいる以上、憎しみの対象となるものにも出会ってしまうことは避けられません。
欲しいと思ってしまった人間は、穏やかには過ごせません。簡単に手に入るものもあるでしょうが、求めても得られないものもまたたくさんあります。結果他人を羨み嫉妬したり、社会に対して愚痴をこぼしたり、他人を犠牲にするようなケースもあります。大好きなあの人が結婚し他人のもの。同期は次々出世して。そんな身の回りによくあるものだけでなく、老いる事のない体を求めたり、永遠の命を求めたり、古代インドでは、上のカースト階級を求めたりということもあったでしょう。
人が綺麗な宝石を見たとき、その輝きに魅了され、身につけた自分をイメージしたりして、手に入れたいと思うようになるのです。
人が自分より恵まれた人を見たら・・・。高いところから下を見たら・・・。事故を見たら・・・。死に接したら・・・。このように、肉体や精神に執着してとらわれてしまうのが人間です。物欲、色欲はもちろん、美味しそうな食べ物を前にしたときもそうです。五蘊に執着することから、様々な欲や感情が出てきて苦しい思いをします。
四苦八苦という言葉の内容について、なんとなくお分かりいただけたでしょうか?
全体に渡って「苦」と書いていますが、これは「思うようにならない」だから苦しみにつながる、という風に受け取ると良いでしょう。苦しいなと思ったときに、この四苦八苦の話を思い出して照らし合わせてみますと、必ず当てはまるものがあります。
ついでに冷静に一呼吸おくこともできますからね。
「昨日あのあとトラブルがあって四苦八苦しちゃったよ」
なんて気軽な使われ方をしていますが、あながち間違えてはいない部分もありますが、本来は、人の苦の根底にあるものの事なのです。
大乗仏教の登場と伝播
大乗仏教という言葉は「偉大な/大きな」「乗り物」で「大乗」と呼ばれています。
「大」があるなら「小」もあるのか?と言いますと、答えは「あります」。
しかし、小乗仏教という言い方は、大乗仏教が登場したことによって、大乗仏教に分類されない従来の部派仏教等の事を指した呼び方で、しかもその呼び方には蔑称の意味があることから、現在でも通じはしますが、あまり使わないようにされています。
この言葉の説明だけでも何となく予想が出来るとおり、部派仏教と大乗仏教には何やら、ただならぬ壁がありそうです。
前回の補足にもなりますが、釈尊入滅後の仏教の話の中で、根本分裂、そして部派仏教への分裂についてお話させていただきました。まだ、読んでいないという方は、混乱を防ぐためにも一度お読みになってから、今回の話をお読み頂くと、より理解が深められると思います。
仏教教団が分裂した原因は三蔵の「律」の解釈をめぐる要因が大きいという事にも触れましたが、分裂した各派は、それぞれに釈尊の教えを解釈して、三蔵の「論」をまとめる作業を行いました。
そうして、まとめられたものをアビダルマと言うことから、部派仏教の事をアビダルマ仏教と呼んだりもします。
そんな分裂が数百年に渡って起こったわけですが、紀元後1世紀頃になると、それまでの単純な分裂とは少し異質な、分裂なのか登場なのか、定かではないものが登場してきます。それが大乗仏教です。
間違いないのは、確実に求められて登場していることでしょう。
ここで、前回の話の中で私の考えとしてお話させて頂いた事が、表立ってくることになります。恐らく、前回までの話をお読みいただいた方の中にも、仏教に対して「あれ?」と感じた方がおられるのではないかと思います。
そう、これまでの仏教の教えによって救いの道の達成を目指せる人というのは、限られた極一部の人達だけです。
八正道(また別の機会に解説します)の実践、教義の理解、瞑想を行ったりといった事を充分に行うためには、まず出家して修行に集中できる状態にならなければなりません。例えば奴隷として自由の無い人が、救いを求めても、奴隷としての仕事をこなしながら充分な修行などできるわけがないのです。
考えてみれば当然ですね。現在の日本においても、国民全員が出家して比叡山などに篭って、托鉢をして食料などを確保して・・・食料を誰が布施してくれるのでしょう?
そもそも食料を誰が作るのでしょう?誰が流通させるのでしょう?
あっという間に、社会は滅茶苦茶になってしまいます。
当時のインドであってもそれは同じです。
では、そのように修行に身を置けない人達は、どうしたら良いのでしょうか?
これもカルマだと諦めなければならないのでしょうか?
大乗仏教に対して、小乗仏教という言い方が蔑称の意味合いを持つというのは、こういった要素を大乗仏教側から見た時の軽蔑、非難なわけです。
部派仏教は前回の内容で触れたとおり、結集に参加した弟子の阿羅漢たちの流れ、言わば釈尊に近い専門家たちによって受け継がれたという色が濃いものです。釈尊から受けた教えも、当然出家修行者向けの教えでしょうから、より専門的なものになっているのでは?というのが、私の持論です。
仏となった釈尊が、我が身と我が弟子のみを救って、苦しむ衆生は見殺しにするとは私には到底考えられないのです。
さて、登場しました。私と同じ疑問を持つ人を解決してくれる仏教が。
それが大乗仏教なのです。
部派仏教との、最も大きな違いは「利他行」の存在になります。
簡単に言えば、苦しむ一切のものを救おうという精神です。
大乗仏教の登場に関する私個人の説などは、入り込んだ私の主観からなんとなく察しがつくと思いますが、機会があればお話させて頂こうと思います。ここでは先へ進めたいと思います。
紀元後2世紀に登場する「龍樹菩薩」によって、大乗仏教は完全に確立されたと考えて良いでしょう。
後に部派仏教の系統はインドの南側ルート、大乗仏教は北側ルートを通って広まっていく事から、現在のタイやスリランカに伝わっていく仏教を「南伝仏教」、中国や日本に伝わっていく仏教を「北伝仏教」と呼んでいます。
南伝仏教は、現在でも当時の部派仏教の流れを守っていますので、ここからはタイトルに従って、主に大乗仏教が伝播していく北伝仏教に話の焦点を当てたいと思います。
大乗仏教は、シルクロードを通り、チベットや中国へと伝播していきます。
こう聞くと、西遊記のお話を思い出す方も多いと思いますが、まさにそのとおりです。
西遊記に登場する「三蔵法師」は、三蔵(経・律・論)をおさめたお坊さんという意味で、モデルになったのは、唐時代の玄奘という僧です。
玄奘西域記なんて漫画もありますので、興味がある方は探してみると良いかも。
そして、朝鮮半島を経て、ついに海を渡り日本へと入ってくることになります。
日本に最初に仏教が入ってきたのは、538年とも552年とも言われていますが、実際にはそれ以前に、民間単位で入ってきていたと言われています。
最初は南都六宗(奈良仏教とも呼ばれる)という文字通り6つの宗派が日本に根付きましたが、色々と大人の事情もありまして(調べてみると面白いですよ)、桓武天皇、嵯峨天皇は、遣唐使が持ち帰った新しい仏教を保護するようになります。
それが、「天台宗(最澄)」、「真言宗(空海)」で、総じて「平安仏教」と呼ばれています。
中でも、最澄が開いた比叡山は、日本仏教における総合大学的な位置付けを担い、その後に登場する鎌倉仏教の礎となりました。
鎌倉時代には、比叡山で学んだ僧たちを中心に、宗派が誕生していきます。
それらの宗派を総じて「鎌倉仏教」と呼んでいます。
鎌倉仏教には、「浄土宗(法然)」、「浄土真宗(親鸞)」、「時宗(一遍)」、「法華宗(日蓮)」、「臨済宗(栄西)」、「曹洞宗(道元)」があります。
~おまけ~
乃至十念 若不生者 不取正覚 (唯除五逆 誹謗正法)
無量寿経の中に法蔵菩薩(阿弥陀如来が修行中の菩薩だった頃の名前)48の願立てが書かれている部分があり、上記はその一つ至心信楽の願と呼ばれるものです。
簡単に訳すると、
「私が仏になるとき、あらゆる人々が心から信じて私の国に生まれたいと願って、わずか十回でも念仏して、生まれることが出来ないなら、私は覚りをひらかない。」
となります。
度重なる戦乱、今とは雲泥の差のある農業技術や品種事情。冷害飢饉。
今の恵まれた時代に生きる私たちには想像だにできない時代背景が日本仏教にはあります。そんな中で生まれ、汗水流して日々働いても食えないこともある。
かつて親鸞聖人が出家した際に詠んだ和歌があります。
「明日ありと思ふ心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」
わずか9歳にして詠んだものです。
9歳の子供が、得度を明日しようと言われ、「今夜嵐になって桜が散らないとは限らないじゃないか」と例えて今日得度をして欲しいと懇願したものです。
「少しでも早く出家したい」、たった9歳の子供にそう思わせる時代だったのです。
「たとひ法然聖人にすかさせまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ」(歎異抄)
これは、簡単に訳せば法然上人に騙されて、念仏して地獄に落ちたとしても後悔しないという意味です。
法然上人への尊敬であるとか、信頼であるとかという解釈もありますが
比叡山で、熱心に学び、常行三昧といった苦行を行った親鸞聖人が、それでも救われない我が身が、念仏の教えに出会って初めて救われた。「もはや私にはこれしかないのだ」という思いが溢れ出ている一節だと感じます。
そんな親鸞聖人が法然上人から受け継ぎ、よりどころとした阿弥陀如来の念仏の教えが、先述した無量寿経の四十八願(第十八願)です。
釈尊入滅後の仏教
釈尊が入滅した後の仏教はどういう風になっていったのかについて、背景も含めて解説したいと思います。
仏教以前、釈尊の頃、そして現在でもそうですが、インド方面では「口伝」が一般的でした。
この口伝を、一度聞いて他人に伝えていく伝言ゲームのようなものと考えるのは誤りです。伝言ゲームは、伝わる過程で誤りがあることを前提として楽しむものですが、口伝は誤りがあってはならないものです。
ですから、暗記して何度も互いに確認しあうという事が行われます。
皆さんも、学校や職場などで、目標や規則、注意点などを暗記し、皆で復唱したりした経験があると思いますが、どちらかといえばそれに近いものです。
「朝はおはようございますと挨拶しましょう」
というものがあれば、それを互いに覚え確認しあいます。
「昼はおはようございま・・・」
など、間違えていた場合、速やかに訂正されるわけです。
膨大な言葉をどうやって正確に口伝できるのか?については、面白い考察があります。
バラモン教の存在については、釈尊の生涯でも触れていますが、このバラモン教の経典であるヴェーダもまた、長い間の口伝によって伝えられました。
仏教よりも古くから存在しているのに、とあるヴェーダが文字に残されたのは、なんと紀元"後"14世紀になってからというのですから驚きですね。
それも一字一句違わずに伝承されたとされています。
その記憶のメカニズムというのが、コンピュータの記憶と類似した手法をとっているという考察があります。
面白い記事です。
実際のところ、人間の記憶というのは、上記のような記憶手法をとらなくても、反復していると驚くほどの相当量の記憶ができます。
般若心経というお経がありますが、覚えているという方も多いと思います。
般若心経を読む宗派の僧侶の方でしたら、100%暗記しているでしょう。
私の知り合いの一般の方でも、一字一句間違わずに暗記している方が大勢おります。
私の宗派では般若心経は読みませんが、若輩者の私ですら、文字数でいうと6~7倍になる阿弥陀経(漢字2000字弱)であってもなんとなく覚えてしまっています。
勿論阿弥陀経以外のお経も覚えています。
ちなみに、そんな私は記憶が大の苦手。
学生時代も、考えると分かる事はわりと得意分野なのですが、暗記科目は毎回結構な綱渡りをしてきました。
しかし、そういう試験の記憶とはまた違った記憶の感覚なので、同一視することができないのです。
私以上に記憶が得意で、長い年月、日々反復するとするならば、もっと記憶ができても何の不思議もありません。
むしろ、当たり前じゃないか?とさえ思うのです。
伝言ゲームのように誤ってとおっしゃられる方もおられるのは承知していますが、般若心経を暗記している僧侶の方を何十人も集めて、毎日のように互いに確認しあいながら伝承していったとして、内容変わるかな?なんて逆に思ってしまいます。
その量が桁違いだとしてもです。
暗記が苦手な私ですが、日本史などの科目に関しては実は暗記にほとんど苦労していません。幼い頃から、伝記などを読むのが好きでしたから、時代背景や事件の流れといった事を、部分記憶ではなく、流れで記憶していました。
それも、背景という理由を伴って頭に入っていたわけです。
ですから、暗記したのは、用語と年号ぐらいで、その用語に関しても、用語を覚えるというよりは、組み合わせで記憶されているという感覚でした。
電気が発明された。お釜でお米を炊く。という時系列の流れを組み合わせれば電気釜といった感覚ですね。
人間の記憶というのは、細かな関連付けの難しい羅列(電話番号のようなもの)は難しくても、流れの記憶は割と得意なものです。
「○月○日◎時に△駅前で□さんと待ち合わせ。」
年月日の記憶はあやふやになりやすいですが、待ち合わせをしたという記憶はあやふやになりにくく、重要性が高ければ高いほど長く残ります。
誕生日だから、以前の埋め合わせの約束だからなど、関連した理由付けがしっかりとあれば尚更です。
悩み苦しんだ人が、相談をして解決したとしたら、その相談内容と答えられた内容の概要を忘れるでしょうか?
言った言葉をそのままというのは難しくても、内容・要点はしっかり理解として記憶されます。
私は小学生の頃の叱られた記憶、辛い悩みがあった時期の事など見事に残っています。
むしろそれが普通ではないでしょうか?。
偈文(詩のようなもの)という形で暗記する一方、内容としての記憶、関連した流れの記憶、組み合わせの記憶、心身状態を伴う記憶・・・。
さて、大勢の体勢でこのように記憶された内容を、変えてみましょう。
できますか?
口伝=伝言ゲームとは異なるのだというのがお分かりいただけたのではないかと思います。
釈尊が入滅した後に、釈尊の弟子たちが集まって、釈尊の教えを確認しあいました。
これを「結集」と言います。
釈尊も、バラモン教なども同じですが、文字として残す事はNGでした。
そこで、釈尊の教えを一つ一つ確認し、結集に参加した者達が唱和し、認証するという形で結集は進められました。
結集の場には釈尊が仏陀となってから40年以上に渡る布教で接した者達が、全員参加したわけではありません。
王舎城郊外に、500人の比丘(阿羅漢)が集まりとあるように、阿羅漢に達した、いわば釈尊に近く、最も話を聞いていたであろう、いわば専門家たちが集まったのです。
結集に参加しなかった、釈尊の教えを受けた人達がどうしたのか・・・。
それは想像するしかありません。
子や孫、近所のものに口伝したものもあったでしょう。
自らだけで完結させたものもあったでしょう。
是非とも知りたいものですが、今となっては・・・ですね。
第二回目の結集は釈尊入滅から約100年後に行われました。
その後三回四回と行われますが、三回以降は、資料により時期に差異があり、断定が出来ませんが、最近ですと1954年に結集が行われています。
さて、第二回目の結集の頃に、仏教教団は分裂を始めます。
最初は上座部と大衆部とに分裂します。
分裂の原因は「十事非法」「大天五事」などの「律」(三蔵/経・律・論の律)の解釈による対立でした。
十事非法というのは、例えば、塩をもらった場合、その塩は使い切る事が決まりですが、塩が手に入らなかった時の為に、蓄えておいても良いか?といったものです。中でも金品での布施を巡る解釈が特に問題となったようです。
大天五事というのは、大天こと摩訶提婆という阿羅漢が、夢精しちゃった事件に端を発した、阿羅漢に達していも完璧じゃないし間違いもあるんだという五箇条を提示しました。それに反発するものと、そうかもしれないというものとで意見が対立することになりました。
保守的な立場をとったものは上座部、そうでないものは大衆部へと別れる事となり、これを「根本分裂」と呼びます。
その後も分裂を繰り返して、数百年の間に上座11、大衆9の計20の部派に分裂します。
それに対して、分裂前の釈尊の死後約100年間を「初期仏教」と呼んでいます。
このような分裂の話をしますと、仏教がどんどん元とかけ離れ、改造されていると受け取る方がおりますが、仏教の根本である教えに関してはどの部派にもきちんと受け継がれているという事を添えておきたいと思います。
人心の移り変わり、時代の移り変わり、状況の移り変わりは避けられるものではありません。数十年前の車と現在の車とでは、故障のし易さが大きく異なります。では、メンテナンスの頻度や車検の時期などをそれに合わせて見直そうじゃないかというのは極々自然なことでしょう。いやいや機械のことだから、これまで通りでいくべきだ、それも正解でしょう。しかし車に対する接し方が時代に合わせて変化しただけで、車が元とかけ離れて、車ではなくなったとは言いません。
釈尊の教えは確かに受け継がれていますが、数百年もたてば、布施の事情など変化して当然です。長期間布施できない商人が大量の香辛料を布施したとして、それを無理矢理使ったり捨てたりしなさいというのはまた乱暴ですね。長期間布施できないという事情もあり、まとめて布施したいという商人の気持ちを断りますか?
どちらも正解なんです。
そのような性質のものと考えてもらって良いと思います。
そのような中において、頑なに伝統を守ろうとするものがいて当然、柔軟に対応しようとするものもまたいて当然。しかし、どちらの立場をとっていても、確実に時代は移ろいでゆくものです。
仏教のその後ということで記載していますが、先述した話のついでですから仏教教団の見極め方を記しておきたいと思います。
『三法印』
これに
・一切皆苦
を加えたものを『四法印』と言います。
この三法印、踏み込むならば四方印が仏教の根本原理にあたります。
詳しいお話はまた改めて行いたいと考えておりますが、これらに対してきちんと向かい合い、その上で教義を展開していないものは、仏教じゃないと断言して頂いて構いません。
言葉の印象
「○○が30%にのぼりました」と「○○が30%にとどまりました」
同じ事を言っていても、与える(受け取る)印象が大きく異なります。
この文章で表現した人の「主観」が大きく作用している例ですね。
「○○は30%でした」
と表現すれば、その数値をどう見るのかの主権は受け取る側になります。
この「主観」交じりの表現と同じ思考を私たちは普段から繰り返しています。
「休みが残り1日になってしまった」
「ビールが後グラス半分しかない」
「Aさんは怒ってばかりいる」
などなど、例を挙げるのもたやすく、キリがありません。
「休みは残り1日です」
「ビールの残量はグラス半分です」
「Aさんが怒っているところを幾度か目撃した」
例え口に出さなくても、私たちの頭の中には「主観によるモノの見方」が絶えることなく連続されています。
そして、最後の例のように「偶々重なった事を決定してしまう」癖があります。
いつもにこやかで世話好きなAさんが怒っている所をたまたま2~3度見ただけかもしれません。Aさんが目立っていただけかもしれません。
急いでいるときの赤信号は、通常よりも印象に残り易く、「また赤信号に引っかかった!もう!」と思いやすいものですが、赤信号の数は、急いでいない時と変わらないかもしれませんし、場合によっては少ない事だってあるでしょう。
「主観交じりの表現と同じ思考を私たちは普段から繰り返している」と書きましたが、言い換えますと、私たちは主観による印象付けを無意識のうちに、自分にも、他人にもしているということです。
私たちは、そんな「偏った目」を持っていて、そんな偏った目で見たものを勝手に真実と思い込んでしまう「癖」を持っています。
幾度か偶々同じ県のナンバーの車の悪いところを目撃しただけで
「△△ナンバーの車はいつもウインカーを出さない」
△△県の人はマナーが悪く他人の事を考えないに違いない
思った事ありませんか?
ニュースやワイドショーや出所も真偽も分からない噂話などの極々一部でしかないはずの情報から
公務員ってのはみんな・・・
年寄りってのはみんな・・・
納豆ってのは・・・
○○ダイエットってのは・・・
有名なものなので、ご存知の方も多いと思いますが、こんな話があります。
一酸化ニ水素という物質があります。無色透明、無臭、無味ですが、毎年大勢の人を死に至らしめています。一酸化ニ水素は通常液体ですが、固形物も存在して、長時間固形物に接していると、深刻な体組織の破損に繋がります。
たしか、こんな感じの事が、つらつらと書かれていたと記憶しています。
一酸化=「O」 ニ水素「H2」
早い話「H2O」、水の事です。
毎年水難事故はあるでしょう。氷に長時間、そりゃ凍傷にもなります。
さもありげに、聞きなれない用語で話をされると、騙されてしまう人も多いものです。
騙す人が、権威であったり、影響力のある人であったりすると、尚効果的ですね。
ここで、自分の事と照らし合わせて考えてみてください。
これまで様々な「嫌な経験」をしてきていると思います。
友達との喧嘩であったり、身に覚えのない事を疑われたり、失敗したり、良かれと思って迷惑をかけてしまったり。
そして、その原因として考えられるありとあらゆることを考えてみてください。
その原因は「偏った目」と「癖」にありませんか?
今回の例のようなケースだけに限らず
ありとあらゆる物事、森羅万象の真実をありのままに正しく見て、正しく知る事。
これを仏教では「如実知見」と言います。
「ありのままを見る目を持つ」
もし、そんな事ができたら世の中が全く違った景色に映るのでしょうね。
腹が立った時、間違いをおかしそうになった時などなど、今回の話を思い出してみてください。
如実知見とまではいかなくとも、いくつかの視点で見て考えることぐらいはできます。
偏った目と癖で接したときに、遅かれ早かれ、苦しい思いをするのは私たち自身ですからね。
そうやって毎回思い出すことができたとしましょう。
これまでよりは僅かにマシになっているはずです。
それでも、やっぱり苦しい思いをしてしまうのが、私たち人間です。
私たちは以前の記事にも書いた「悪人」ですからね。
どんなに気をつけていても、僅かにマシにはなれど、やっぱり繰り返すんです。
お釈迦さんのようにはいきませんよ。
嘘だと思うなら、是非お試し下さい。
ちなみに、それを無駄だから不必要だと言っているわけではありません。
どんなに気をつけていても苦しんでしまう私であること
それは偏った目と癖から、なかなか離れられない私であることを知りましょう。
患部に触れずには怪我の治療ができないのと同じで、まずは患部の一つを確認しましょうと申しているのです。