はいっ坊主

坊主が気まぐれに日々のご縁をしるします

暗中模索を暗中模索するという事

暗中模索というのは、「暗闇の中で手さぐりで捜す事」

つまりは、見通しが立たない物事を色々と試しては探るという意味で使われている言葉です。

 

 この記事を読まれている方の中には、社会人の方も居られるかもしれませんし、学生の方も居られるかもしれません。

皆さん、勉学であったり仕事であったりに接していく中で「分からない事」に遭遇することは珍しい話ではありません。「分からない事」に接して「分かろうとして」も、「何が分からないのか分からない」なんて事も多々あることでしょう。

 今から20年近く前になりましょうか。

個人がホームページを作るという事が、静かに流行した時期がありました。

今ではブログ等に取って代わられておりますが、HTMLというホームページに用いられる言語を入力していったり、またはそれを自動的に行ってくれるソフトを用いて、多くの方々が様々なホームページを制作され、同じ方向性を持つホームページの管理者さん同士でリングなるものを作ってサーフィンの便利化を図ったり等々、当時を知っている方からすれば、「あぁあったあった」という懐かしいネタのオンパレードかもしれません。

 私自身もまた、当時とある解説講座的なホームページを作っておりました。

結構マニアックなジャンルのものであったにもかかわらず、毎日のアクセス数が1600件越えをしておりまして、同じジャンルのホームページを作って居られた方々が多くてやっと二桁アクセスという中にあって不思議がられたものです。

そうしますと、非常にたくさんの方々から「質問」を受けるようになってまいります。

設置した掲示板は質問で埋め尽くされ、メールでも質問がどんどん届きます。

専門雑誌にホームページが紹介されたりしていきますと、その数は日増しに増えていきました。

 そんな「質問」の中身ですが、ホームページ内でしっかりと解説済な事が非常に多いのです。また、掲示板で一つ二つ前の方と全く同じ質問をしていかれる方というのも非常に多いのです。

この現象は、私のところだけではなく、ジャンルを問わずにいたるところで見られた事で、始めは親切に回答されていた方でも「いい加減うんざり」するレベルで頻発しておられ、「一つ前ぐらい読め!」や「最低限調べてから来い」なんて言葉尻荒く対応されている様子を見たのも一度や二度どころか、何百度です。

 

 私はと言いますと、それは仕方ない事なんだと考えておりましたので、同じ質問でも回答したところへ誘導したり、同じ内容を答えたりとマイペースにやっておりました。

と申しますのも、「何が分からないか分からない」は誰しもが経験しているからです。

初めてのことでしたら尚更です。

カメラを始めようという方が居られたとして、コンパクトなカメラと一眼レフと何が違うの?カタログやら見てもFってなに?調べてみても被写界深度って何よ?

と次から次へと専門用語が飛び交い、「知っている人向けの情報しかないじゃないか」

と受け取られ初心者向けの解説は一体どうやって捜したものか・・・。

これが普通だと思うのです。

そんな中で、質問できる場に出会えた方の喜びやいかほどか・・・。

偶然であっても、因果関係があっても、そこに辿りつけた事を奇跡的と感じられている方だっているでしょう。

ですから、私は重複質問であっても、投げやりな回答を一度たりともしなかったのです。

 

 今回のタイトルにあります、暗中模索を暗中模索するという事がなんとなくお分かりいただけてきた頃と思います。

暗闇の中にあって、何かを探すのは大変ですが、その捜している何かが何かも分からないとあってはこれは大変です。

やっと手に触れたものがあっても、それが捜しているものなのか、ヒントぐらいにはなる物なのかすら分からないのですから。

 

 何年か前の話になりますが、「学校の勉強の方法が分からない」

という話を受けたことがあります。

これは珍しい話ではないと思います。

その方は試験に悩んでおられたようですが、「勉学についていけずに試験勉強以前に、まずはどうすすめたらよいのかすらわからない」という状態にあったようです。

まさに今回のタイトルですね。

私が提示させて頂いた回答は、まずは「勉強を三つに分け整理しなさい」というものでした。

1.覚えるしかない事

2.考えれば分かる事

3.1・2どちらか判断できない事

 

 これは私自身が身を持って経験した勉強法でした。

私の家系は親族一同声を揃えて言うことには典型的な理系脳家系らしく、「なぜ?」と考え答えを探る癖が私自身にもいつの間にか備わっておりました。

授業中でも「なぜ?」と考えて分からなければ、授業が進む中私はそこで立ち止まって考え続けており、気が付けば授業の後半聞いてなかった・・・というのが日常でした。

覚えるしかない事を「なぜ」と考えることは「学問」としては非常に有意義なことですが、「試験勉強」という目で見た場合には「時間の無駄」です。

一方、考えれば分かる事をすべて暗記していこうとすることもまた時間の無駄です。

あくまでも「試験勉強という目前に差し迫った状況下での話」ですよ。

そんな事があまりに日常でしたので、「先生!覚えるしかない事はちゃんとそうやっておっしゃってください!」

と抗議した記憶があります(笑)

話をもどしまして、

例えば、「1192年(1185年)に源頼朝が開いたのは?」

これを暗記抜きに導くのは大変です。

なぜ鎌倉なの?幕府ってどうしてそう命名されたの?

時間の無駄でしょう?

もう一つ「体積30立方センチの物体を水に沈めた時の浮力は?」

浮力=押しよけた水の重さ(アルキメデスの原理)

これを試験中にいくら考えてもでませんよw

なので、アルキメデスの原理は暗記するしかない事です。

しかし、そこから先はこれを元に考えれば分かる事です。

 

3に関しては、どちらの要素もあるのだという姿勢で臨みます。

本格的に時間を割くのは3だけというわけですね。

その後、その方の勉学がうまくいったのかどうかは、続報を聞かせていただけておらずに分からないままですが、良い方向へのアドバイスとなっていてくださればと願うばかりです。

 

 こんな話のついでに、私自身未だによく分かっていない試験スタイルの一つが「暗記」なのですが・・・。

例えば、会社の製品をプレゼンする際に、製品の仕組みや機能、従来・ライバル製品との差異に関しては熟知しておく必要があります。しかし、それに用いられたパーツの名称や特許の番号や・・・はメモして持っておけば充分ではないでしょうか?

歴史でいえば、時代の移り変わりと背景、その中で起こった事件であったり出された法令であったりという事は理解しておく大切さがわかります。

今後の私たちへの教訓となる事も多いでしょうし、先人たちのご苦労を知り、現在に生きる私たちへと繋がることで、私たち自身を知る事にもなります。

しかし、細かな年号や元号、単語はメモで良くないですか?

と申しますのも、逆の方を非常に良く見るのです。

受験を乗り越え、年号から法令までばっちり答えられるのに

「じゃあどんな背景があってその法令を出すことになったの?」

「それはその後の歴史でどういう影響を及ぼしていくことになるの?」

と聞くと答えられない方・・・。

歴史なら歴史という科目の意義を考えると、これでいいのかな?なんて思ってしまうわけです。

先の例で言いますと、私の世代が試験で鎌倉幕府が開かれた年で1185年と書いたら×でしたよ。

今では1192年と書くと×です。

所詮その程度でしかない暗記の内容を「暗記」して「成績や進路」を左右する因の一つとしてまで重要視し、肝心の意義はおろそかにされてる今の試験のあり方が不思議でならないのです。

 

何をもって「本とせられ候」なのか・・・。

勉学に限らず様々なところで見直さないといけない事が多いのではないでしょうか?

なんとなく惰性的にであったり、良く考えずにであったりで、今後もこのまま要を外していくのであれば色々と心配な部分がございます。

今はまだ、暗中模索を暗中模索している段階であるだけならば良いのですが・・・。