読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

はいっ坊主

坊主が気まぐれに日々のご縁をしるします

温かなご縁のおはなし

 あれから何年になるでしょうか。

年始に、ご挨拶に回っておりました。

両手には荷物がいっぱいという状況の中、突如みぞれが降り始めました。

みぞれはみるみるうちに本格的な雪となり、両手が塞がっている私は、傘(そもそも持って出ておりませんでしたが)をさすどころか、頭に積もった雪を払うこともままならないまま、時間的な都合もありそのままご挨拶を続けておりました。

そんな中お邪魔した家でのこと、私の状態を見た方が、タオルを用意してくれた上に、両手の塞がっている私の頭から服まで一所懸命に拭いてくれるのです。

荷物を置けば自分で拭ける状況ですし、私自身もういい大人であるにも関わらず、まるでずぶぬれの子供を拭くかのように真剣にです。

親しい方の家やご門徒さんの家でしたら、まだ話もわかりますが、そうではない家での事でした。

身内であっても「お父さんのパンツと一緒に洗わないで」なんて家庭もあるという悲しい話も耳にするご時世に、話もしたことのない、見知らぬ中年おじさん(まだ認めていませんが)を相手に、なかなかできることではないです。

 

 私ならどうしただろう?

例えば、面識のない宅配業者の中年男性がずぶぬれで荷物を持ってきたとしたら。

何もしないか、せいぜいタオルを手渡すぐらいでしょう。

拭いてあげるところまでは絶対にしない自信があります。

お読みになっているみなさんはどうですか?

見知らぬ中年男性がずぶ濡れで訪ねて来たら、タオルを用意しますか?拭いてあげますか?

 

 その時の私は、恥ずかしいやら申し訳ないやら、しかし同時に、本当に温かい気持ちがどんどん満ちていくのを感じました。

その心が本当に嬉しかった!

その時の事を、私は生涯忘れることはないでしょう。

あの時のタオルほど温かいタオルは、これまで経験した事ありませんでした。

親しい間柄で、拭いてもらった事は数知れずあります。

それは、私の中で「してもらえて当たり前」と思っていたのでしょうし、実際に例えば親が濡れた子供を拭くというのは、多くの場合むしろ当たり前の事でもあります。

 

 今現在、当時の私と同じような状況があれば、私は迷わずタオルを用意して拭きます。

「困っている人に親切にしましょう」

なんて小学校で習った記憶がありますが、簡単な親切ならする人も多いものです。

先の例でいえば「これで拭いてください」とタオルを差し出すことなら、する人も少なからずいるでしょう。

しかし、簡単ではない親切はなかなかできるものではありません。

 

 そんな温かな心に触れた私は、その瞬間に大きな変化を経験しました。

もっと分かり易い話をしましょうか。

 

 ご近所さんが旅行に行った際に、「いつもお世話になってるから」とお土産を買ってきてくれたとしましょう。あなたが旅行に行った時、たくさんの貰い物があったとき、ご近所さんがちょっと困っていた時、あなたはお返しをしようと思うようになります。その事がきっかけで別のご近所さんにも、おすそ分けをしよう、お土産を買っていこうなんて思うようになることもあるでしょう。

同じ話なんです。

あなたに何か良い事をしてくれた人がいて、その人はもちろん、その時の嬉しさを他にもしてあげたいと思うようになる。

 

 この事は、別に宗教的な善行でも修行でもなんでもないんです。

人が生きるという事は、常に縁の中にいるという事です。

その縁にも様々な縁がありますが、そんな縁の中でも身近な所に、ほんの少し温もりを添えてみたといったところでしょうか。

その温もりを添えられたご縁は、先の例のように確かに記憶や潜在意識に残り、ほんの少しかもしれませんが、人を優しくします。そうして、温かなリレーが行われます。

 

 諸行無常な世界ですから、即座に必ず温もりがリレーされるとか、即座に必ず温もりが伝わるなんて言うつもりはありません。しかし、放たれた温もりのご縁が、なかった事になることは絶対にありません。

 

 これもまた何年も前の話ですが、とある砂浜でカップルの乗った一台の車が動けなくなっていました。その場にいた地元の人たちが、応援を呼びに走ったことで、たまたま近くの道を走っていた私もその場に駆けつけることになりました。

砂浜にはまってしまった車は、タイヤが空転するばかり。

とはいえ重い車に、足場は不安定な砂ですから、大人の男数人がかりでも持ち上げる事ができません。

そこにいた方が板切れを探し回り見つけてきました。

それを車の下に置き、ジャッキをあて、車を持ち上げ、タイヤのしたに敷いたのは、地元の人が家まで取りに帰って持ってきた新品の毛布でした。

そうして、皆が汗だくになって押し、やっと車は砂浜から脱出できました。

一連の中で、車の助手席には若い女性が、一度も降りることなく、むすっとした顔で乗っており、男性も男性で脱出した後、お礼どころか、会釈一つする事もなく、そのまま走り去って行きました。

 簡単に言ってしまえば「若い奴が、考えもなしに車で砂浜に入って周囲に散々迷惑をかけて助けてもらったのに、お礼も言わずに去っていった。礼儀も知らない奴らだ。」となるのでしょうが、それは目先の損得しか見ていない場合の話です。カップルには必ず親切にしてもらった記憶が残ります。年月を経て、その時の事が蘇り再びリレーが再開されることもあるでしょう。その時助けに集まった地元の人達もまた、腹立たしさもあったでしょうが、それでも心のどこかで「よかった」と思っているはずです。私自身もまた、そう思っていますから。

また同じ状況があれば、助けにくると思います。

私もまた、その直後に牽引ロープを購入し常備するようになりました。

地元の方のお子さんだと思いますが、近くで見ていた子供たちにもまた、この件からかけがえのない事を教わったと思います。

 

放たれた温もりのご縁が、なかった事になることは絶対にありません。

 

世の中どうにもならない縁ばかりですが、身近な縁の中には、こうしてほんの少しだけ育む事ができるご縁もあるのです。真理から見れば些細すぎるほどの事かもしれませんが、そんなご縁を大切に日暮しをさせて頂ける事ってすばらしいなって思います。