はいっ坊主

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釈尊入滅後の仏教

 釈尊が入滅した後の仏教はどういう風になっていったのかについて、背景も含めて解説したいと思います。

 

 仏教以前、釈尊の頃、そして現在でもそうですが、インド方面では「口伝」が一般的でした。

この口伝を、一度聞いて他人に伝えていく伝言ゲームのようなものと考えるのは誤りです。伝言ゲームは、伝わる過程で誤りがあることを前提として楽しむものですが、口伝は誤りがあってはならないものです。

ですから、暗記して何度も互いに確認しあうという事が行われます。

皆さんも、学校や職場などで、目標や規則、注意点などを暗記し、皆で復唱したりした経験があると思いますが、どちらかといえばそれに近いものです。

「朝はおはようございますと挨拶しましょう」

というものがあれば、それを互いに覚え確認しあいます。

「昼はおはようございま・・・」

など、間違えていた場合、速やかに訂正されるわけです。

膨大な言葉をどうやって正確に口伝できるのか?については、面白い考察があります。

バラモン教の存在については、釈尊の生涯でも触れていますが、このバラモン教の経典であるヴェーダもまた、長い間の口伝によって伝えられました。

仏教よりも古くから存在しているのに、とあるヴェーダが文字に残されたのは、なんと紀元"後"14世紀になってからというのですから驚きですね。

それも一字一句違わずに伝承されたとされています。

その記憶のメカニズムというのが、コンピュータの記憶と類似した手法をとっているという考察があります。

ヴェーダの伝承とデジタル記録の類似性

面白い記事です。

実際のところ、人間の記憶というのは、上記のような記憶手法をとらなくても、反復していると驚くほどの相当量の記憶ができます。

般若心経というお経がありますが、覚えているという方も多いと思います。

般若心経を読む宗派の僧侶の方でしたら、100%暗記しているでしょう。

私の知り合いの一般の方でも、一字一句間違わずに暗記している方が大勢おります。

私の宗派では般若心経は読みませんが、若輩者の私ですら、文字数でいうと6~7倍になる阿弥陀経(漢字2000字弱)であってもなんとなく覚えてしまっています。

勿論阿弥陀経以外のお経も覚えています。

ちなみに、そんな私は記憶が大の苦手。

学生時代も、考えると分かる事はわりと得意分野なのですが、暗記科目は毎回結構な綱渡りをしてきました。

しかし、そういう試験の記憶とはまた違った記憶の感覚なので、同一視することができないのです。

私以上に記憶が得意で、長い年月、日々反復するとするならば、もっと記憶ができても何の不思議もありません。

むしろ、当たり前じゃないか?とさえ思うのです。

伝言ゲームのように誤ってとおっしゃられる方もおられるのは承知していますが、般若心経を暗記している僧侶の方を何十人も集めて、毎日のように互いに確認しあいながら伝承していったとして、内容変わるかな?なんて逆に思ってしまいます。

その量が桁違いだとしてもです。

 暗記が苦手な私ですが、日本史などの科目に関しては実は暗記にほとんど苦労していません。幼い頃から、伝記などを読むのが好きでしたから、時代背景や事件の流れといった事を、部分記憶ではなく、流れで記憶していました。

それも、背景という理由を伴って頭に入っていたわけです。

ですから、暗記したのは、用語と年号ぐらいで、その用語に関しても、用語を覚えるというよりは、組み合わせで記憶されているという感覚でした。

電気が発明された。お釜でお米を炊く。という時系列の流れを組み合わせれば電気釜といった感覚ですね。

人間の記憶というのは、細かな関連付けの難しい羅列(電話番号のようなもの)は難しくても、流れの記憶は割と得意なものです。

「○月○日◎時に△駅前で□さんと待ち合わせ。」

年月日の記憶はあやふやになりやすいですが、待ち合わせをしたという記憶はあやふやになりにくく、重要性が高ければ高いほど長く残ります。

誕生日だから、以前の埋め合わせの約束だからなど、関連した理由付けがしっかりとあれば尚更です。

悩み苦しんだ人が、相談をして解決したとしたら、その相談内容と答えられた内容の概要を忘れるでしょうか?

言った言葉をそのままというのは難しくても、内容・要点はしっかり理解として記憶されます。

私は小学生の頃の叱られた記憶、辛い悩みがあった時期の事など見事に残っています。

むしろそれが普通ではないでしょうか?。

文(詩のようなもの)という形で暗記する一方、内容としての記憶、関連した流れの記憶、組み合わせの記憶、心身状態を伴う記憶・・・。

さて、大勢の体勢でこのように記憶された内容を、変えてみましょう。

できますか?

口伝=伝言ゲームとは異なるのだというのがお分かりいただけたのではないかと思います。

 

 釈尊が入滅した後に、釈尊の弟子たちが集まって、釈尊の教えを確認しあいました。

これを「結集」と言います。

釈尊も、バラモン教なども同じですが、文字として残す事はNGでした。

そこで、釈尊の教えを一つ一つ確認し、結集に参加した者達が唱和し、認証するという形で結集は進められました。

結集の場には釈尊仏陀となってから40年以上に渡る布教で接した者達が、全員参加したわけではありません。

王舎城郊外に、500人の比丘(阿羅漢)が集まりとあるように、阿羅漢に達した、いわば釈尊に近く、最も話を聞いていたであろう、いわば専門家たちが集まったのです。

結集に参加しなかった、釈尊の教えを受けた人達がどうしたのか・・・。

それは想像するしかありません。

子や孫、近所のものに口伝したものもあったでしょう。

自らだけで完結させたものもあったでしょう。

是非とも知りたいものですが、今となっては・・・ですね。

 

 第二回目の結集は釈尊入滅から約100年後に行われました。

その後三回四回と行われますが、三回以降は、資料により時期に差異があり、断定が出来ませんが、最近ですと1954年に結集が行われています。

 

 さて、第二回目の結集の頃に、仏教教団は分裂を始めます。

最初は上座部大衆部とに分裂します。

分裂の原因は「十事非法」「大天五事」などの「律」(三蔵/経・律・論の律)の解釈による対立でした。

 十事非法というのは、例えば、塩をもらった場合、その塩は使い切る事が決まりですが、塩が手に入らなかった時の為に、蓄えておいても良いか?といったものです。中でも金品での布施を巡る解釈が特に問題となったようです。

 大天五事というのは、大天こと摩訶提婆という阿羅漢が、夢精しちゃった事件に端を発した、阿羅漢に達していも完璧じゃないし間違いもあるんだという五箇条を提示しました。それに反発するものと、そうかもしれないというものとで意見が対立することになりました。

 保守的な立場をとったものは上座部、そうでないものは大衆部へと別れる事となり、これを「根本分裂」と呼びます。

その後も分裂を繰り返して、数百年の間に上座11、大衆9の計20の部派に分裂します。

この部派に分裂した仏教を総称して「部派仏教と言います。

それに対して、分裂前の釈尊の死後約100年間を「初期仏教と呼んでいます。

 

 このような分裂の話をしますと、仏教がどんどん元とかけ離れ、改造されていると受け取る方がおりますが、仏教の根本である教えに関してはどの部派にもきちんと受け継がれているという事を添えておきたいと思います。

 人心の移り変わり、時代の移り変わり、状況の移り変わりは避けられるものではありません。数十年前の車と現在の車とでは、故障のし易さが大きく異なります。では、メンテナンスの頻度や車検の時期などをそれに合わせて見直そうじゃないかというのは極々自然なことでしょう。いやいや機械のことだから、これまで通りでいくべきだ、それも正解でしょう。しかし車に対する接し方が時代に合わせて変化しただけで、車が元とかけ離れて、車ではなくなったとは言いません。

 釈尊の教えは確かに受け継がれていますが、数百年もたてば、布施の事情など変化して当然です。長期間布施できない商人が大量の香辛料を布施したとして、それを無理矢理使ったり捨てたりしなさいというのはまた乱暴ですね。長期間布施できないという事情もあり、まとめて布施したいという商人の気持ちを断りますか?

どちらも正解なんです。

そのような性質のものと考えてもらって良いと思います。

そのような中において、頑なに伝統を守ろうとするものがいて当然、柔軟に対応しようとするものもまたいて当然。しかし、どちらの立場をとっていても、確実に時代は移ろいでゆくものです。

 

 仏教のその後ということで記載していますが、先述した話のついでですから仏教教団の見極め方を記しておきたいと思います。

三法印

 ・諸行無常 ・諸法無我 ・涅槃寂静

これに

 一切皆苦

を加えたものを四法印と言います。

この三法印、踏み込むならば四方印が仏教の根本原理にあたります。

詳しいお話はまた改めて行いたいと考えておりますが、これらに対してきちんと向かい合い、その上で教義を展開していないものは、仏教じゃないと断言して頂いて構いません。