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はいっ坊主

坊主が気まぐれに日々のご縁をしるします

言葉の印象

考える法話

「○○が30%にのぼりました」と「○○が30%にとどまりました」

 

同じ事を言っていても、与える(受け取る)印象が大きく異なります。

この文章で表現した人の「主観」が大きく作用している例ですね。

「○○は30%でした」

と表現すれば、その数値をどう見るのかの主権は受け取る側になります。

 

 この「主観」交じりの表現と同じ思考を私たちは普段から繰り返しています。

「休みが残り1日になってしまった」

「ビールが後グラス半分しかない」

「Aさんは怒ってばかりいる」

などなど、例を挙げるのもたやすく、キリがありません。

「休みは残り1日です」

「ビールの残量はグラス半分です」

「Aさんが怒っているところを幾度か目撃した」

例え口に出さなくても、私たちの頭の中には「主観によるモノの見方」が絶えることなく連続されています

そして、最後の例のように「偶々重なった事を決定してしまう」癖があります

いつもにこやかで世話好きなAさんが怒っている所をたまたま2~3度見ただけかもしれません。Aさんが目立っていただけかもしれません。

急いでいるときの赤信号は、通常よりも印象に残り易く、「また赤信号に引っかかった!もう!」と思いやすいものですが、赤信号の数は、急いでいない時と変わらないかもしれませんし、場合によっては少ない事だってあるでしょう。

「主観交じりの表現と同じ思考を私たちは普段から繰り返している」と書きましたが、言い換えますと、私たちは主観による印象付けを無意識のうちに、自分にも、他人にもしているということです。

 

 私たちは、そんな「偏った目」を持っていて、そんな偏った目で見たものを勝手に真実と思い込んでしまう「癖」を持っています。

幾度か偶々同じ県のナンバーの車の悪いところを目撃しただけで

「△△ナンバーの車はいつもウインカーを出さない」

△△県の人はマナーが悪く他人の事を考えないに違いない

思った事ありませんか?

ニュースやワイドショーや出所も真偽も分からない噂話などの極々一部でしかないはずの情報から

公務員ってのはみんな・・・

年寄りってのはみんな・・・

納豆ってのは・・・

○○ダイエットってのは・・・

 

 有名なものなので、ご存知の方も多いと思いますが、こんな話があります。

一酸化ニ水素という物質があります。無色透明、無臭、無味ですが、毎年大勢の人を死に至らしめています。一酸化ニ水素は通常液体ですが、固形物も存在して、長時間固形物に接していると、深刻な体組織の破損に繋がります。

たしか、こんな感じの事が、つらつらと書かれていたと記憶しています。

一酸化=「O」 ニ水素「H2」

早い話「H2O」、水の事です。

毎年水難事故はあるでしょう。氷に長時間、そりゃ凍傷にもなります。

さもありげに、聞きなれない用語で話をされると、騙されてしまう人も多いものです。

騙す人が、権威であったり、影響力のある人であったりすると、尚効果的ですね。

 

 ここで、自分の事と照らし合わせて考えてみてください。

これまで様々な「嫌な経験」をしてきていると思います。

友達との喧嘩であったり、身に覚えのない事を疑われたり、失敗したり、良かれと思って迷惑をかけてしまったり。

そして、その原因として考えられるありとあらゆることを考えてみてください。

その原因は「偏った目」と「癖」にありませんか?

今回の例のようなケースだけに限らず

ありとあらゆる物事、森羅万象の真実をありのままに正しく見て、正しく知る事。

これを仏教では「如実知見」と言います。

 

 「ありのままを見る目を持つ」

もし、そんな事ができたら世の中が全く違った景色に映るのでしょうね。

腹が立った時、間違いをおかしそうになった時などなど、今回の話を思い出してみてください。

如実知見とまではいかなくとも、いくつかの視点で見て考えることぐらいはできます。

偏った目と癖で接したときに、遅かれ早かれ、苦しい思いをするのは私たち自身ですからね。

そうやって毎回思い出すことができたとしましょう。

これまでよりは僅かにマシになっているはずです。

それでも、やっぱり苦しい思いをしてしまうのが、私たち人間です。

私たちは以前の記事にも書いた「悪人」ですからね。

どんなに気をつけていても、僅かにマシにはなれど、やっぱり繰り返すんです。

お釈迦さんのようにはいきませんよ。

嘘だと思うなら、是非お試し下さい。

ちなみに、それを無駄だから不必要だと言っているわけではありません。

どんなに気をつけていても苦しんでしまう私であること

それは偏った目と癖から、なかなか離れられない私であることを知りましょう。

患部に触れずには怪我の治療ができないのと同じで、まずは患部の一つを確認しましょうと申しているのです。