紅葉
昭和の時代、人々は木を求めました。
戦火、災害などの復興から「木材」の需要がとても高かったのです。
先日、法要の席でそんな話を聞きました。
日本各地で「植樹」が行われたのはそのためだと教わりました。
何年か前の春に、自坊の近くの山へ、山菜を採りに行きました。
子供の頃は、時々走り回って、時には迷子にもなったことがある山です。
そんな山ですから、もはや庭の如く、どこを上がればどこに着く。
どこに山菜がたくさんあって・・・なんて事は熟知していました。
ところが一歩山へ足を踏み入れると、山の中の様相は、私の知っているそれとは
大きく違いました。
登るのに使っていた獣道は倒木に塞がれ、落とされていない枯れ枝が
木々からぶらさがり、踏み均されていない獣道はところどころ崩れていました。
その山の木々は元々植林されていたものです。
山を管理する人、木を管理する人がいなくなり
本来ならば、広葉樹も針葉樹も入り乱れているはずの山が
植えておきながら放置した結果、もはや材木にもならない
したところで、赤字になるだけの杉だらけの
寂しい山のまま放置されているのです。
実を付ける木の少なさからの熊や猪、ハクビシン等による被害
幼少期を針葉樹で過ごすカメムシの大量発生。
そんな事を考えながら話を聞いておりますと、残念な気持ちが湧いてきます。
近くの山が放置されて、既に何年もの月日が流れておりますが
最近は、この紅葉シーズンの山を愛でるのがささやかな楽しみになっています。
まだまだ針葉樹だらけで賑やかとはいえませんが、それでも年々
紅葉している木々の面積が広がっていくのを感じます。
その紅葉した木々の広がり方もまたおもしろいもので
山に縞模様を描くかのように広がってきています。
僅かな広葉樹からの命のリレーが、山の斜面を利用して行われているのでしょう。
その結果、縦方向に広葉樹が広がっていき、縞模様のような山になるわけですね。
あと10年20年後、このまま順調に広がっていけば
錦絵のような目を楽しませてくれる山になってくれるのではないでしょうか。