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はいっ坊主

坊主が気まぐれに日々のご縁をしるします

折り鶴

考える法話

折り紙で鶴を折ってみて下さい。

折り鶴を前にしたあなたにクイズを出しましょう。

 

「誰がこの鶴、作ったの?」

 

 

「私が折って作った」

と答えたあなたは、僅かに正解です。

 

「間違いなく私が自分で折った鶴だ」

そう考えるのは極々自然な事でしょう。

では、問いをこう言い換えてみましょうか。

 

「なぜあなたはこの鶴を折れたのでしょうか?」

 

折り方を知らずに折れますか?

あなたに鶴の折り方を伝えた人がいるはずです。

その人に折り方を伝えた人がいるはずです。

その人に・・・。

 

紙がなくても折り紙ができますか?

紙を作った人がいるはずです。

紙の作り方を伝える人がいるはずです。

紙を発明した人がいるはずです。

 

そこに折り紙がなくても折り紙で折り鶴を折れますか?

折り紙を売ってくれた人がいるはずです。

折り紙を流通させてくれた人がいるはずです。

折り紙を商品にした人がいるはずです。

 

たった一つの折り鶴ですが

ここには書ききれるはずもない多くのご縁があって

初めてあなたが折り鶴を折るという過程の仕上げ作業ができたにすぎません。

折り方を伝えた人も

紙を作った人も

折り紙を売ってくれた人も

目の前にある折り鶴を折る為には欠かせない存在。

彼らもまた、その折り鶴を作った人。

 

私たちの身の回りにあるもの、そして私たち自身

折り鶴と同じ。

考えてみたら「当たり前の事」。

その当たり前が見えていないのが私たち。

忘れてしまうのが私たち。

考えることもしないのが私たち。

感謝しないのが私たち。

 

問われて、考えれば気がつけるのにね。

当たり前に見向きもしないで

「俺が」「私が」

 

もう一度問うてみます。

 

「誰がこの鶴、作ったの?」